諸処の事情でおやすみ中だった、わたしの愛機RDーX4が復帰しました。修理のための入院で、ある日突然引退したRD-X4は、わたしのそれまでたくさん録りためた番組たちを、いっぱいおなか(ハードディスク)に抱えたままなので、ゴールデンウィークを機会に、夫にまたつないでもらいました。7ヶ月間、じっとおやすみしていたことになります。まだどこも壊れていないのでもったいないのですが、かわりに、ビデオデッキ1台に引退してもらいました。つないだからといって、どれだけ見られるかはわかりませんが、これからはわたしの脳みそではなく、目に見える形で、ライブラリ管理ができそうです。
お店でコットンマフラーなるものを見かけました。以前から売っていたのかもしれませんが、うちはあまりそういうコーナーへ行かないもので。ちなみに、今日うちがそこで買ったのも、昭和レトロシーズで大塚ボンカレーのスポーツタオルと、ホワイトデーの売れ残りか、安くなっていた「となりのトトロ」のネコバスのタオルハンカチだけです。さて、コットンマフラーというのは、つまりタオル地のマフラーで、ウォーキング用に、と書いてありました。スポーツやガーデニングで首にただのタオルを巻くんじゃかっこ悪いと思う人は多いのでしょう。ちょっとしたプレゼントにもいいかもしれないなと思いました。
うちはそんなにミスタードーナツへ行くほうではないのですが、キャンペーンが始まってまもなく、トートバッグをもらってしまいました。実はドーナツではなくて、2回ほど家族4人で飲み物を注文したら、そのぐらいのポイントがたまってしまったのでした。わたしがもらったのは黒で、大きいですが軽く、これから便利に使えそうです。
うちは普段あまり100円ショップを利用しませんが、これだけは100円ショップで見つけたものが気に入っています。ちなみに書見台は、ノートに書いた日記帳の原稿を、パソコンにアップするときに使います。このブログは、直接パソコンに書いているのですが、日記帳のほうはまだ、紙に書いてからにしています。以前はパソコン用のデータホルダーを使っていました。気に入ってはいたのですが、やはり1000円以上はしますし、けっこうかさばります。ノートパソコンになってからはとくに、データホルダーなるものは紙を何枚かはさむものが主流で、ノートを置けるものは限られるのです。そして偶然見つけた100円ショップの書見台が、予想に反してとても使いよく、そのうえパステルカラーでかわいくて喜んでいたのですが、ある日、わたしは踏んで壊してしまいました。書店にある頑丈なものも良いのですが、あまりかわいらしくはありませんし、なぜか他の百円ショップへ行ったところ見あたりませんでした。そして、めったにいかないダイソーへ、やっと足を踏み入れて、買うことができたわけです。
今日は、札幌市内をナビ子とドライブでした。今日のナビ子は快調で、ちゃんと役に立ってくれました。わたしは車の運転はできません。免許は持っているのですが、自転車さえ運転できないのに、車なんて到底無理です。それはともかく、このたびのカーナビは女の人の声でしたが、もしわたしが車を運転するなら、男の人の声がするものにしたかもしれません。古くはナイト2000みたいなのもありましたね。サイバーフォーミュラの、アスラーダみたいな声ならいいな、なんて勝手に想像していました。
うちの車にカーナビがやってきました。私がイメージしていたのは、単に私が助手席で地図を広げるかわりに道案内をしてくれる、というものでしたが、全然違いました。わたしの想像よりずっと、時代は進化しておりました。女性の声でしゃべってくれるのですが、私は彼女にナビ子という名前を付けました。ナビ子ちゃんは、なるほどと思うこともありますが、おバカなこともあります。そのおバカぶりに一喜一憂しながら、まるでうちの車に、もう一人乗っているような感じで、今日のドライブは面白かったです。ちなみにナビ子は、ビーストウォーズに出てくる、チャーミングなデストロンのコンピューターの名前です。
下の子が、家庭科でお裁縫をすることになり、学校が斡旋販売した裁縫セットを買いました。ちなみに上の子のときは、一生使うことになるものだからと、お友達と一緒のものではなく、カナリアで彼女に選ばせて買ったのですが、それが正しかったのか間違っていたのか、いまだに私は判断がつかないでいます。さて今日、手にした裁縫セットは隔世の感がありました。コンパクトで、機能がいっぱいで、男の子でも裁縫が面白くなりそうです。長女のものは、私の時代とさほど違わなかったのに、次女のものは劇的な進化を遂げている、といった例は他にも、書道セットや水彩絵の具セットなど、いろいろあるのでした。
毎年クリスマスに、日曜学校では生誕劇を行ないます。小学2年の時はマリアに懐妊を告げる天使、小学3年の時は宿屋の主人、そして小学4年の時にはついに、主役マリアをつとめました。今日久しぶりに教会に足を踏み入れて、そういえばあそこで劇をしたんだと懐かしく思い出しました。
列席者のなかに、懐かしい顔をいくつか見つけました。分級の時、私の担任の先生だった峰山先生もいらっしゃいました。私が小樽を離れたあと、先生は運河保存活動に尽力されることになります。当時の私は、大好きだった先生が、全国的な有名人になってしまって、びっくりしましたが、先生は変わりませんでした。ご挨拶に行くと、私のことをいまも覚えてくださっていて、うれしかったです。
さて、私は小学2年の秋に、父の転勤で小樽へ引っ越しました。そしてほどなくして、熱心なクリスチャンであった伯母一家のすすめで、ごく自然な成り行きで、日曜学校へ行くことになりました。病弱だった私が、毎週一人でバスに乗って日曜日に出かけるのは、結構大変だったのではないかと思います。小学5年の秋に私は小樽から引っ越すことになりますが、その後中学まで、私は日曜学校へ通い続けます。両親がクリスチャンであるわけではないのに、自分の意志で通い続けることになるのでした。子どものころは漠然と、自分は将来クリスチャンの男性と教会で結婚式を挙げるものだと思っていました。いまわたしは無宗教ですが、もし夫が宗教を強制するような人ならば、結婚していなかったでしょう。キリスト教が私に与えた影響は小さくありません。振り返って、自分の子どもたちに、そうした精神的支柱のようなものが与えられたかというと、それはわかりません。もちろんそれは、親から与えられるとは限らない性質のもので、友達であったり、先生であったり、本であったりするわけですが。
歌われた賛美歌はすべて故人希望のものでしたが、そのうちの1つは私にとって懐かしい、「主われを愛す」でした。子どもの時に覚えたこの歌は、いまになっても4番までちゃんと歌詞を忘れていないのが不思議でした。子どものころに覚えた賛美歌や聖書の一節は、当時言葉の意味もよくわからなかったところもあるのに、なぜか覚えているものです。
もうかなり前のことですが、彼女が登録したことで、私は初めて白菊会の存在を知りました。彼女の遺体は、葬儀のあとすぐに献体されました。これから医学の教育、研究に役立つことになるのです。すばらしいことではありませんか。
今日の葬儀は教会で行なわれました。彼女は大変熱心なクリスチャンでした。そして彼女は信仰心の厚いクリスチャンというだけでなく、北海道のキリスト教の歴史に大きくかかわった人でした。彼女の人生は、開拓の歴史に始まり、小樽の商業史でもあり、作家小林多喜二との出会いを含む小樽の近代史、そしてなによりキリスト教の布教史、近年ではボランティア活動史でもあるのでした。
今日は、親戚の不幸があって、小樽に行ってきました。亡くなったのは、私の従兄弟の祖母にあたる人、私の伯母のお姑さんで、先日100歳になったばかりでした。私にはいつも優しくしてくださり、ハイカラで、いつも新しいことに挑戦して努力する姿勢には、頭が下がりました。私が生まれたとき、助産婦の資格を持っているので、しばらくお風呂に入れに来てくれていたそうです。母が入院したときに、小学生の私が預けられていたこともあります。いつも編み物をしていて、編み物の作品をいくつかいただきました。そして本人は全くそんなそぶりは見せないのですが、優しかった親戚のおばあちゃんと言うには、似つかわしくないほど、彼女は実はすごい人なのでした。美人で、亡くなるまでずっと聡明で、意志のしっかりした彼女の精神は、彼女の子どもたち、孫たち、そして多くの彼女に出会った人たちに大きな影響を与えたのでした。